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觀ることは、還ること。
風を觀て、地に坐し、心を整える。
觀ることから、すべてが始まる。
觀蘆という名は、古代中国の智慧書『易経』第二十卦「風地觀(ふうちかん)」に由来します。
「風」は、目には見えないけれど、
あらゆるところに吹き渡り、
気を巡らせ、静かに触れる存在。
「地」は、それを受けとめる静かな器。
受容し、支える大地のようなあり方。
- お茶を觀る
- 心を觀る
- 身体を觀る
- 自然を觀る
- 日常を觀る
風が大地を吹き渡るように、
私たちもまた、静かに世界を“観る”存在でありたい。
観るとは、評価せず、コントロールせず、
ただ丁寧に「今ここ」に向き合うこと。
それは、
他者を見るのではなく、
自分自身の呼吸や心の動きに気づくということでもあります。




静(しずけさ)
言葉を手放したとき、
初めて聴こえてくる音がある。
呼吸と呼吸のあいだに漂う、
微かな気配、静けさ、そして気づき。
觀蘆では、その「何もしない」時間にこそ
ほんとうの豊かさが宿ると信じています。
觀(みる)
内側の呼吸や感情、
外側の風や光のうつろい──
それらをただ観ることで、
判断や言葉を超えた気づきが生まれてくる。
觀ることは、変えることではなく、
そのままの「今」と深く出会うための静かな道です。
還(かえる)
風の音に耳をすまし、
お茶を淹れ、静かに坐る。
自然に寄り添い、身体の声に気づき、
心の奥へと還ってゆく。
觀蘆は、そんな「本来の自分」に立ち還るための
やわらかな時間と空間を育んでいます。
